埼玉西武ライオンズの、岸潤一郎外野手を取り上げます。
今季は開幕から外野で一軍に定着し、4番を務めるなど現在絶好調な岸潤一郎選手ですが、ご家族が気になります。
今回は、岸潤一郎選手の嫁や馴れ初め、子供について調査します!
岸潤一郎wikiプロフィール
初めに、岸潤一郎選手のwikiプロフィールをご紹介します。
- 名前:岸 潤一郎(きし じゅんいちろう)
- 生年月日:1996年12月8日
- 年齢:27歳(2024年7月現在)
- 出身地:兵庫県尼崎市
- ポジション:外野手 右投右打
- 所属:埼玉西武ライオンズ
尼崎市立難波小学校4年生の時に「成徳イーグルス」に入団し、野球を始めました。
その後「金楽寺少年野球クラブ」へ移籍し、捕手を中心に多くのポジションを務めています。小学6年生の時にはオリックス・バファローズジュニアに選出。
尼崎市立中央中学校時代は「西淀ボーイズ」に所属。主に投手を務め、中学3年生で「NOMOジャパン」に選出。
明徳義塾高等学校に進学後、1年春からベンチ入りし、投手兼中軸打者として1年夏の第94回全国選手権、2年夏の第95回全国選手権、3年春の第86回選抜大会、同年夏の第96回全国選手権と4度の甲子園大会出場を「エース・4番」として果たし、「甲子園の申し子」と呼ばれたそうです。
第10回U-18アジア選手権に出場する日本代表にも選出され、準優勝に貢献。高校通算24本塁打の実績があります。
拓殖大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場しましたが、肩や肘の故障に見舞われ、大学2年生の夏に右肘のトミー・ジョン手術を受けました。しかし術後の経過が思わしくなく、3年生の秋に野球部を退部するとともに大学を中退しました。
一時は野球を断念したことから「消えた天才」と呼ばれ、テレビ番組で特集された経験もあるそうです。
その後、四国アイランドリーグplus(四国IL)・徳島インディゴソックスの球団社長より、入団の誘いを受け2017年11月、リーグのトライアウトに参加し特別合格。その後ドラフト会議で徳島より4位指名を受け入団しました。
2018年から四国IL・徳島インディゴソックスで活躍、主に一塁手、外野手として64試合に出場。38盗塁の最多盗塁を獲得し、外野手部門のベストナインを受賞。
2019年には、遊撃手として主に1番打者を務め、出場69試合に出場しチームの年間総合優勝に貢献。
2019年のNPBドラフト会議で、埼玉西武ライオンズから8位指名を受け、推定契約金1000万円、年俸500万円で仮契約で入団しました。
2020年は7月5日にプロ入り初の一軍へ昇格。2021年は初の開幕一軍入りを果たすも結果を残せず、4月17日に一軍登録を抹消。5月に再び一軍へ昇格し中堅手として先発起用され、推定年俸1600万円で契約を更改。
2022年は4月6日の楽天戦でシーズン初本塁打を記録したが、股関節の怪我で調子を落とし150万円減の推定1450万円で契約更改。
素晴らしい経歴ですね!
岸潤一郎の結婚した嫁は年上美人糟糠妻!馴れ初めは?
嫁
岸潤一郎選手の嫁についてですが、
年上のしっかり者。甲子園の申し子と言われた岸潤一郎選手のことも知らないような人だったと語っています
高校時代に全国的な知名度を誇った岸潤一郎選手でしたが、自分を知らない人が逆に新鮮だったようです。
年上のしっかり者だったが、岸のことも野球のルールも知らなかったという。「僕のことを一切知らなかったし、今でも僕がどこを守っているかあんまり分かっていないんじゃないですか?」と笑う。高知・明徳義塾高時代に雑誌の表紙を飾るなど全国的な知名度を誇った岸にとっては新鮮だった。
https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/050/305000c
ですが、それだけでは恋に発展しないと思います。とても印象に残るほど、きれいな方だったと推測します。
岸潤一郎選手は、ももいろクローバーZのファンで、打席登場曲はももクロの楽曲。推しメンは玉井詩織さんと公言しています。きっと玉井詩織さんのような美人なのではないでしょうか。
1軍の試合今日見てませんが
西武のモノノフ岸潤一郎がサヨナラという事で岸潤一郎推しらしい
玉井詩織さんの始球式写真で
れおほ〜!#共熱#Seibulions #岸潤一郎#ももクロ pic.twitter.com/sbq9NeH0Ns— グリーン家 (@greenke33) October 10, 2021
お二人は、2019年に結婚されました。
馴れ初め
お二人の馴れ初めについてですが、
岸潤一郎選手が野球をやめていた時期に出逢いました。
2017年の21歳位の時だと思われます。地元の兵庫に戻った時だったので、同郷の方かもしれませんね。
妻と出会ったのは野球をやめていた時期だった。拓大では相次ぐけがに悩まされたこともあり、3年秋に退学。野球をやめる決心をし、地元の兵庫に戻った。そこで後に妻となる女性と会った。
https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/050/305000c
野球をやめていた時期にはリハビリを兼ねて、西宮市の野球教室で野球を教えるアルバイトをしたそうです。「野球っておもろいな」と、前向きになれたと言います。そんな時に出逢ったのかもしれませんね。
地元に帰り、兵庫・西宮市の野球教室でリハビリを兼ねてアルバイトを始めた。子供に野球を教える中で「野球っておもろいな」と、前向きになれた。
https://hochi.news/articles/20191017-OHT1T50278.html?page=1
お二人のお付き合いは、四国アイランドリーグplus徳島で活躍していた時も続き、嫁は関西から夜行バスで徳島に通い、岸選手を支えていたと報じています。
付き合いは、岸が独立リーグの四国アイランドリーグplus徳島で再起した後も続いた。彼女は関西から夜行バスで徳島に通い、岸を支えた。
https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/050/305000c
それもそのはず、岸潤一郎選手の当時の月給は、シーズン中のみで10万円程度。シーズンオフには、うどん屋や居酒屋でアルバイトをする生活で、嫁の支えがなければ継続できない状態だったと思われます。
月給はシーズン中のみで10万円程度。シーズンオフに、うどん屋や居酒屋でアルバイトをしていた。念願のNPB入りを果たし「(西武は)一番勢いのあるチーム」と、夢がかなった喜びをかみしめた。
https://hochi.news/articles/20191017-OHT1T50278.html?page=1
岸潤一郎の子供は2人!
お二人の子供についてですが、
2人の娘さんがいます
その必死な姿勢の背景には2人の娘と、プロ入り前から支えてくれた妻の存在がある。
https://mainichi.jp/articles/20210719/k00/00m/050/305000c
岸潤一郎選手は高校時代に、保育士になりたいという夢があったほどの子供好きだそうです。
娘さん2人も大切に育てているのではないでしょうか。
高校時代、岸には夢があった。子供好きを公言していた岸は「保育士になりたいんです」と話していたことがあった。
https://full-count.jp/2018/07/10/post151122/2/
お読みいただきありがとうございました。
今後の益々のご活躍をお祈りいたします。
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