【家系図】桂由美の家族構成!夫や子供・両親や妹を調査!

日本のブライダルファッションの先駆けで、世界的デザイナーの桂由美さんが2024年4月26日に亡くなったことが報じられました。享年94歳でした。

桂由美さんは大学卒業後にフランスに留学。デザインや縫製の技術を学び日本初のブライダル専門店をオープンし、ブライダルショーを開催するなど、ブライダル業界の先駆け的存在です。

桂由美さんは、どのような家庭で育ったのでしょうか?

今回は、桂由美さんの家族構成について調査します!

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目次

【家系図】桂由美の家族構成!夫や子供

桂由美さんの家族構成を見ていきましょう!

桂由美さんの夫についてですが、

11歳年上の元大蔵省(現財務省)官僚、結城義人さん

桂由美さんが42歳、結城義人さんが53歳の時に結婚しました。

私自身の結婚は42才の時。お見合いで出会った、元大蔵省(現財務省)官僚の結城義人を生涯のパートナーに選びました。彼は当時53才。披露宴での、「売れ残り同士、仲よくやります」という彼のあいさつは笑いを誘い、マスコミで大々的に取り上げられました。

https://www.news-postseven.com/archives/20150701_332303.html?DETAIL

2人の馴れ初めは、お見合いでした。お互いにお見合いを重ねており、桂由美さんは3人目、結城義人さんはなんと37人目だったそうですよ!

彼はかつて大蔵省造幣局長まで務めた人でしたが、役人らしからぬユーモアにあふれた人で、私は37人目の見合い相手だったそうです。

https://www.news-postseven.com/archives/20150701_332303.html?DETAIL

桂由美さんが晩婚だった理由は、母が経営する洋裁学校の手伝いをしながら、1964年に東京・赤坂の一ッ木通りに日本初のブライダル専門店をオープン。事業の両立で多忙を極めたため、婚期を逃してしまったようです。

ですが40代で仕事が軌道に乗り、残りの人生を共にする相手がほしくなりお見合いをしたとのこと

桂由美さんが結婚で相手に求めた条件は、「結婚後も仕事を許してくれること」でした。

一方の結城義人さんの結婚の条件は「母親との同居」。桂由美さんは、お姑さんとの同居は当然のことと考えていたので、すぐに意気投合し出会ってから3か月で結婚を決めたそうです。

しかも、プロポーズの言葉が「20年早く会いたかった」とのこと。素敵ですね♥

彼は「母との同居を条件にすると、断られるんだ」と笑っていましたが、私にとってはお姑さんとの同居は当然のこと。そこも私の古風なところなのでしょうか。そんなこんなで、初対面で意気投合しました。そして、出会って3か月後のデートの時、「20年早く会いたかった」とプロポーズされ、結婚を決めました。

https://www.news-postseven.com/archives/20150701_332303.html?DETAIL

結城義人さんは元大蔵省官僚でしたが、60歳で司法試験に合格し弁護士になりました。ご主人は「おしゃべりで陽気な人だった」そうです。

元官僚で弁護士という華やかな経歴を持ち、しかも陽気な人とは、かなり素敵な方だったようですね!

また、桂由美さんのトレードマークであるターバンは、「黒柳徹子さんのように、髪型を変えない方がいい」という夫の助言で、続けていたそうです。

桂由美さんは、結城義人さんが1990年の71歳で亡くなるまで、安らぎに満ちた結婚生活だったと語っています。

彼が1990年に71才で亡くなるまでの結婚生活は、安らぎに満ちたものでした。彼は私の仕事を応援も、尊重もしてくれましたし、私も60才にして司法試験を受けて弁護士になった彼を、心の底から尊敬していました。

https://www.news-postseven.com/archives/20150701_332303.html?DETAIL

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子供

桂由美さんの子供についてですが、

いないようです

ですが、手塩にかけて育てた自身のブランドが子供のような存在なのではないでしょうか。

桂由美さんは2021年4月21日放送の「徹子の部屋」で、戦時中の子供時代の体験を告白されています。

中学生で学徒動員され、軍需工場で働いていました。東京大空襲の翌日、同級生を探しに被害のひどかった地区に行き、たくさんの遺体を見たといいます。「あの体験を乗り越えたのだから、まだまだ頑張れる」子供時代の戦争体験が、今の頑張りになっていると語っています。

下町に生まれた桂さんは、終戦時は中学生で学徒動員され、軍需工場で働いていたと明かす。東京大空襲の翌日、同級生を探しに被害のひどかった地区に行き、たくさんの遺体を見たと告白。多感な年ごろの経験は、その後の人生にも多くの影響を与えたが「あの体験を乗り越えたのだから、まだまだ頑張れる」と思う日々だと語る。

https://mainichikirei.jp/article/20210420dog00m100020000c.html

愛犬ココ

また、晩年にはプードルの「ココちゃん」を飼い始め、毎日1時間の散歩が欠かせない生活になったそうです。

 また仕事ではリモートワークが増え、運動不足になり困っていたと明かす桂さん。知り合いから犬を飼うことを勧められ、そのお陰で毎日1時間の散歩を欠かさない生活になったと明かす。

https://mainichikirei.jp/article/20210420dog00m100020000c.html

ドレスが素敵ですね!

やっぱり犬のドレスも作っちゃいますよね~♪

ココちゃんを飼い始めた2020年に行われた、犬のファッションコンテストで特別審査委員長として参加。

この時に、「誕生日のためのドレスを作ってほしい」と依頼されたことがきっかけで、犬用のドレスを作り始めたそうです。

コロナ禍でドレス縫製のスタッフたちも仕事が減り、時間に余裕があったこともきっかけのひとつだそうです。

ですが、ココちゃんの服を作ったことはないと言います。着せようとした時に迷惑そうだったことや、ココちゃんは服が似合わないと思っているからだそうです。

もちろん、ココにはたくさんの愛情を注いでいます。でも、服を作ったことはありません。着せようとしたことがあるのですが、迷惑そうにするので、特別な時に、ちょうネクタイを付けてあげます。それに、ココは服が似合わないと思っています。

https://www.yomiuri.co.jp/otekomachi/20220413-OKT8T339954/

幸せなココちゃんですね♡

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【家系図】桂由美の家族構成・両親や妹を調査!

桂由美さんの実家は、東京都江戸川区小岩にあり、両親と妹の4人家族です。

父親

桂由美さんの父親についてですが、

満生まんせい時雄さん

早稲田大学を卒業後、逓信省(後の郵政省)に勤めていたそうです。

父・満生まんせい時雄は福岡県出身です。早稲田大学を卒業後、逓信省(後の郵政省)に勤めていました。

https://www.yomiuri.co.jp/serial/jidai/20230531-SYT8T4204362/

父親とは、幼少期には日曜日に一緒に本屋に行くことが多く、とても温かく優しい人だったそうです。

ですが、母親が洋裁の学校を始めた時でも関心を示さないような人で、人の話も聞いていないような人だったと言います。

ますます忙しくなる母に対して、面白いのは、父の態度だったと桂さんは振り返って笑う。「母のやっていることに、何にも関係しないの。普通なら、ちょっと手伝ってやろうかとか何かあると思うんだけど」
 記憶の中のお父さんは、とてもやさしくて温かい。

https://mediajuku.com/article/482

ですので、父親は引っ越しの話も上の空だったのでしょうか、引っ越し当日もいつもの自宅へ帰り、もぬけの殻の自宅にびっくり。そしてご近所さんに、「うちの家族はどこに越してしまったんでしょう」と聞いて回ったというエピソードがあるようです。

母親の学校経営が順調に成長し、それに伴い学校と自宅を駅に近い場所に移したときに、全くその話が耳に入っていなかった父親は引っ越し当日も元の家に帰った。自宅が真っ暗で空っぽなのに驚いて、ご近所の人に「うちの家族はどこに越してしまったんでしょう」と聞いて回ったというエピソードは、その後長い間、語り草になった。

https://mediajuku.com/article/482

早稲田大学卒業で逓信省勤務のお堅い職業についていましたが、びっくりするくらい天然な人だったのかもしれませんね!

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母親

桂由美さんの母親についてですが、

みつ子さん。

宮城県出身で、幼い頃から勉強が大好きだったそうですが「女に勉強は必要ない」と言われていた時代でした。

ですが、東京でのお見合い話しがあり「東京に行けば勉強ができる」と結婚を即決したそうです。

母・みつ子は宮城県出身。勉強が大好きでしたが、祖父に「女に勉強は必要ない」といわれていたそうです。東京に住む父との縁談が持ち上がった際、「東京に行けば勉強ができる」と即決。

https://www.yomiuri.co.jp/serial/jidai/20230531-SYT8T4204362/

女性の地位が低かった時代に、「東京に行けば勉強ができる」と結婚を決めたお母様は、かなり肝が据わっていますね。

しかも結婚後は、東京・新宿の文化服装学院に通い服飾を勉強し近所の主婦を集めて編み物や洋裁を教えていたといいます。

結婚当時は、桂由美さんの両親と妹と暮らしていましたが、父方の祖父が福岡で経営していた新聞社が倒産し、祖母と共に上京して同居をすることになったり、故郷からでてきた親類の若者が次々に居候するようになり、給料だけではまかなえないほどの生活になっていきました。

好きなことを仕事にしていたようですが、家計を支えるための仕事でもあったようです。

その後母親は小岩駅前に「小岩編物研究所」を開き、この学校は後に洋裁専門学校となり学校経営にも携わるようになっていきました。

桂由美さんのブライダル業界の先駆けとして突き進む力は、母親譲りかもしれませんね!

兄弟

桂由美さんの兄弟についてですが、

3歳年下の妹がいます

3歳下の妹が生まれた頃には不況は一層ひどくなり、父方の祖父が福岡で経営していた新聞社は倒産。祖母と共に上京して、同居することになりました。

https://www.yomiuri.co.jp/serial/jidai/20230531-SYT8T4204362/

妹さんは、父親に似てやせ型。桂由美さんは、母親似でぽっちゃり体型だそうです。

うちの姉妹は、妹は父に似てやせ形なんですが、私は母に似てぽっちゃりで。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e48eee1ae27af710913087961761e25e74cd473b

3歳年下ですので、2024年4月現在では91歳になりますね。

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後継者

桂由美さんの後継者についてですが、

30年以上桂由美さんの右腕としてきた藤原綾子さん・森永幸徳さん・飯野恵子さんの3名が率いるユミカツラのクリエイティブチームが、後任としてコレクションの制作を託されました

「ユミカツラのデザイナーであり、30年以上桂由美の右腕として共にクリエイションをしてきた藤原綾子・森永幸徳・飯野恵子の3名が率いるユミカツラのクリエイティブチームが、桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました」

https://hochi.news/articles/20240430-OHT1T51042.html?page=1

お読みいただきありがとうございました。

桂由美さんのご冥福をお祈りいたします。

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