盛山正仁は婿養子|嫁は大臣の娘で恐妻家?子供や馴れ初めも調査!

盛山正仁さんを取り上げます。

現在、文科大臣として精力的に活動されていますが、年齢は70歳だそうです。

いつまでも若々しいのは、ご家族の支えがあってこそだと思います。

今回は、盛山正仁さんの嫁について調査します!

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目次

盛山正仁のwikiプロフィール

初めに、盛山正仁さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:盛山正仁(もりやま まさひと)
  • 生年月日:1953年12月14日
  • 年齢:70歳
  • 出身地:兵庫県西宮市
  • 学歴:東京大学法学部第3類、神戸大学大学院法学研究科
  • 前職 :国家公務員(国土交通省)
  • 所属政党:自由民主党(古賀派→岸田派[1]→無派閥)

運輸省入省後、環境省地球環境局総務課長や国土交通省総合政策局情報管理部長を経て、第44回衆議院議員総選挙で初当選をしました。

しかし、2009年の衆議院議員選挙で兵庫1区・比例近畿ブロックともに落選。

ですが、同年10月には昭和女子大学客員教授、武庫川女子大学教授に就任。

その後、ひょうご環境創造協会兵庫県環境研究センター客員研究員、玉川大学客員教授、同志社大学客員教授、聖心女子大学講師を務めました。

浪人時代は、数々の教授職を歴任しています。法学博士と商学博士の資格をお持ちですので引く手あまただったでしょうね。

その後は、

  • 第46回衆議院議員総選挙で再選、法務副大臣兼内閣府副大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、法務大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院厚生労働委員長、自由民主党国会対策委員会筆頭副委員長、同政務調査会国土交通部会長、同政務調査会法務部会長などを歴任

素晴らしい経歴ですね!

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盛山正仁は婿養子|嫁は大臣の娘で恐妻家?馴れ初めも調査!

嫁は田村元の長女

盛山正仁さんの嫁についてですが、

盛山路子さん

盛山路子さんは旧姓田村路子さんと言い、労働大臣、運輸大臣、通商産業大臣などを歴任した田村元・元衆議院議員の長女です。

田村家は娘しかいなかったので、盛山正仁さんは婿養子になったそうです。早くに父親を亡くしているので、頼れる父ができたことは有難いと語っています。

入省2年目の私にとっては全く口答えのできない雷おやじであったが、私は中学3年の時に父を亡くしていたので、いざというときに頼れる父ができたことは有難いことであった。早くに父を亡くした私と、娘しかいない田村は、すぐに実の父子になった。

https://blog.goo.ne.jp/moriyama-hashiru/e/715ce0c2b62574d283cf51b461cbfbab

田村元さんの、wikiプロフィールをご紹介します。

  • 名前:田村元(たむら はじめ)
  • 生年月日:1924年5月9日
  • 年齢:享年90歳
  • 出身地:三重県松阪市
  • 学歴:慶應義塾大学法学部
  • 所属政党:(自由党→)自由民主党
  • 親族:甥・田村憲久

弁護士出身の元衆議院議員の父親田村秢の長男として誕生。

1955年、当時最年少の30歳で衆議院議員に初当選。当選は14回で、第66代衆議院議長、労働大臣、運輸大臣、通商産業大臣、自由民主党国会対策委員長を歴任しました。

1996年に政界を引退。2014年老衰のため90歳で逝去されました。

地盤は、甥の田村憲久氏が継承しました。田村憲久氏の娘はTBSアナウンサーの田村真子さんです。

みなさん世襲議員で、政治家一族ですね。

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恐妻家

嫁の盛山路子さんは、事務所を仕切る恐妻家と報じられています。

元国交官僚の盛山氏は岸田派所属で当選5回。政策通としてしられますが、事務所を仕切る妻の路子(みちこ)氏に頭があがらない恐妻家です

引用:https://bunshun.jp/denshiban/articles/b7148

路子さんは幼少期から、父親を見て育ちました。事務所を仕切るにはそれなりの素養が必要と思われます。

しかし、盛山正仁さんは選挙のセの字も知らない素人なのに、父親田村元氏にも相談せず選挙に立候補しました。

両親は反対しましたが、路子さんはそれを押し切り手伝ったそうです。

主人は父にも内緒で立候補しました。父は、自分が女房にさせた苦労を可愛い娘にさせてたまるかって、私の顔を見ると『早く離婚しろ』と。それで離婚届も書いたりしたものです。でも、主人は選挙のセの字も知らなかった。可哀そうで、両親から『勘当だぞ』と言われるのを押し切って(選挙を)手伝ったんです」

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/bunshun/nation/bunshun-66386?page=2

一からそばで支えたことで、必然的に恐妻家と言われるようになったのかもしれませんね!

路子さんは、平成八年に学習塾「盛山子供会」を開設。スキーやキャンプの指導者や、フランス語の教員免許や華道、着付け、利き酒など、多彩な資格を持つ才女です。

また、路子さんは2014年に「田村元がめざした三重県像」と題して講演をしています。

その歳、国政選挙の出馬の意思はあるのか尋ねられ、過去に依頼はあったそうですが「家庭を大切にして子供たちと歩む母になりたいと思って過ごしています」として、出馬はしないようです。家庭が第一のようですね。

講演の後、出席者からは盛山氏に「国政選挙に出馬する意思はあるのですか」との質問が上がった。盛山氏は「川崎(二郎)先生から出ないかと言われたことはある。家庭を大切にして、子供たちと歩む母になりたいと思って過ごしています」と答えていた。

https://seikon.exblog.jp/22301067/

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馴れ初め

盛山正仁さんと、路子さんの馴れ初めについてですが、

お見合い

運輸省に入省した24歳の時に上司の黒野匡彦補佐官から、お見合い話をもちかけられ、軽い気持ちで受けてしまったとのこと。

黒野補佐官が私の新しい上司となった。翌昭和53年の5月中旬に黒野補佐官から「君、誰かつき合っている女性はいるかね?いないなら、見合いをしないか。」と言われ、軽い気持ちで「ハイ」と答えてしまった。

https://blog.goo.ne.jp/moriyama-hashiru/e/715ce0c2b62574d283cf51b461cbfbab

まだ入省したばかりの24歳にとっては、何も言えないでしょうね。

お見合い相手の名前は当初、伏せられていたそうです。ですがそのお相手は、運輸大臣の机に飾られている写真の女性だったそうで、「マズイな」と思ったとのこと。

怖い上司に押し切られた形で、盛山正仁さんも路子さんも仲人さんに強引にまとめられてしまったと自身のブログに投稿しています。

6月の見合いの直前に相手の写真を渡され、黒野さんからは「今は相手の名前は言えないが・・・」と言われた。運輸大臣の名札が置かれた机で写っている女性なのにである。「これはマズイな」と思った。24歳の若さで、怖い上司に押し切られた。私も妻も言葉を発する暇もなく、有無を言わせぬ仲人口で強引にまとめられてしまった。

https://blog.goo.ne.jp/moriyama-hashiru/e/715ce0c2b62574d283cf51b461cbfbab

ですが、4人の子宝に恵まれているようです。

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盛山正仁・子供は4人!

盛山正仁さんの子供についてですが、

子供は4人。長男、長女、次女(2018年逝去)、三女

長女は公設第一秘書をしているようです。

長女が公設第一秘書なのですが、ほとんど事務所に顔を出さず、勤務実態がナゾ。“在宅公設第一秘書”と揶揄されていた。身内との格差に嫌気が差して、秘書が辞めていくのです

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/bunshun/nation/bunshun-66386?page=2

次女は2018年に階段から落ちて膝を13針縫う重症を負い、その後感染症になり救急搬送されましたが多臓器不全で34歳の若さで逝去されました。

長男と三女は一般の方のようですが、どなたが世襲されるのでしょうね!

お読みいただきありがとうございました。

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