宮崎駿の妻は元アニメーターの先輩!馴れ初めは職場恋愛で子育てで引退

スタジオジブリ最新作「君たちはどう生きるか」が、「第96回アカデミー賞」の長編アニメーション部門にノミネートされ話題です。

今回は、宮崎駿さんの妻について調査します!

スポンサーリンク
目次

宮崎駿wikiプロフィール

始めに、宮崎駿さんのwikiプロフィールをご紹介します。

  • 本名:宮崎 駿(みやざき はやお)
  • 生年月日:1941年1月5日
  • 年齢:83歳(2024年2月現在)
  • 出身:東京都
  • 身長:170cm
  • 血液型:A型
  • 家族構成:妻(大田朱美)、長男(宮崎吾朗)、次男(宮崎敬介)

数千人の従業員を擁した一族が経営する宮崎航空興学の役員を務める一家の4人兄弟の二男として、誕生。

幼少時は身体が弱かったが、絵はずば抜けて上手かったそうです。熱心な読書家で漫画少年でもあったとのこと。

中学生の時に見た『白蛇伝』に感動し、アニメーションにも関心を持ったそうです。学生時代に中学の恩師・佐藤文雄氏のアトリエでデッサンを独学で学びました。

学習院大学に進学し、児童文学サークル(児童文化研究会)に所属。漫画家を志していたが、アニメーションの世界へ進む事を決断。

1963年、東映動画に入社し、アニメーターとしてキャリアをスタート。

主な作品は、

  • 1974年:TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』で全カットの場面設定・画面構成(レイアウト)を担当
  • 1978年:『未来少年コナン』(NHK)で監督を務める
  • 1979年:「ルパン三世 カリオストロの城」で監督デビュー。
  • 1984年:『風の谷のナウシカ』(原作・脚本・監督)
  • 1986年:『天空の城ラピュタ』(原作・脚本・監督)
  • 1988年:『となりのトトロ』(原作・脚本・監督)
  • 1989年:『魔女の宅急便』(脚本・プロデュース・監督)
  • 1992年:『紅の豚』(原作・脚本・監督)
  • 1997年:『もののけ姫』(原作・脚本・監督)
  • 2001年:『千と千尋の神隠し』(原作・脚本・監督)
  • 2004年:『ハウルの動く城』(脚本・監督)
  • 2008年:『崖の上のポニョ』(原作・脚本・監督)
  • 2013年:『風立ちぬ』(原作・脚本・監督)
  • 2023年:『君たちはどう生きるか』(原作・脚本・監督)

1985年、高畑勲と共にスタジオジブリを設立。

数々の名作を生み出し、日本アニメ界を牽引しています。

スポンサーリンク

宮崎駿の妻・大田朱美wikiプロフィール

大田朱美さんの、wikiプロフィールをご紹介します

  • 名前::太田 朱美(おおた あけみ)
  • 本名:宮崎朱美(みやざきあけみ)
  • 生年月日:1938年
  • 年齢:85歳(2024年3月現在)
  • 出身:東京都
  • 学歴:女子美術大学短期大学部

朱美さんは、版画家の大田耕士氏の娘として誕生。宮崎駿さんの3歳年上ですね!

短大卒業後はアニメーターとして、東映動画(のちの東映アニメーション)に入社。

宮崎駿さんの先輩アニメーターで、絵のうまさで高い評価を受けており、夫よりも将来を嘱望されていたようです。

「奥さんは東映動画の先輩アニメーターで、“絵のうまさ”で高い評価を受けていたんです。当時は、宮崎さんより将来を嘱望されていたそうですよ」

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1609652/

主な参加作品は、

白蛇伝 (1958年) 動画
少年猿飛佐助 (1959年) 動画
西遊記 (1960年) 動画
安寿と厨子王丸 (1961年) 動画
アラビアンナイト シンドバッドの冒険 (1962年) 動画
わんぱく王子の大蛇退治 (1963年) 動画
ガリバーの宇宙旅行 (1965年) 原画
太陽の王子 ホルスの大冒険 (1968年) 原画
長靴をはいた猫 (1969年) 原画
空飛ぶゆうれい船 (1969年) 原画
どうぶつ宝島 (1971年) 原画
アリババと40匹の盗賊 (1971年) 動画
ながぐつ三銃士 (1972年) 原画
魔犬ライナー0011変身せよ! (1972年) 動画

アニメーターのはしりですね!

スポンサーリンク

宮崎駿の妻は元アニメーターの先輩!馴れ初めは職場恋愛で子育てで引退

宮崎駿さんと大田朱美さんは、1965年10月に結婚しました。

馴れ初め

2人の馴れ初めは、

東映動画で同じアニメーターとして働いていた

結婚した当時は、女性は結婚後は仕事を辞めなければならないという雇用差別があった時代でした。

ですが、同僚のアニメーター奥山玲子さん(NHK朝ドラの『なつぞら』の主役のモデルになった方)が結婚・出産後も退職せずにアニメーターを続けていたのでそれに習い朱美さんも続けたそうです。

共働きで仕事を続けるっていうのは本当に大変なことでしたよね。だけど、それは奥山さんと小田部さんが切り開いてくれたからとも思いますから。私のあとも何組か続きましたから、みんな感謝していると思います」(宮崎朱美さん)

https://gendai.media/articles/-/67201?page=3

1969年1月には長男の吾朗さんが誕生。アニメーション監督として活躍。現在は株式会社スタジオジブリ常務取締役に就任しています。

1973年10月には、次男の敬介さんが誕生。現在は版画家として活躍しています。

結婚の際は共働きの約束をして仕事と育児を両立していましたが、次男誕生後には育児に専念することにしたそうです。

宮崎監督はアニメ制作会社の東映動画で、同じアニメーターとして働いていた朱美さんと’65年に職場結婚。結婚の際は共働きの約束をしていたが、二男・敬介さんが生まれたころに夫妻は「共働きは無理」と判断し、朱美さんは家庭に入り育児に専念するようになったそうだ。

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1609652/

ですが、辞めたことを後悔していたとのこと。

「奥さんは『絵は私のほうが宮崎よりもうまいのよ』と言うんです。『でも、結婚したら私が絵を描く仕事をやめることになっちゃった』と、私に寂しげに愚痴を漏らしたこともありました。本当は、自分の作品も作りたかったんでしょうね……」

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1609652/

そんな妻に宮崎駿さんは、「女房には申し訳なかったと、いまもそう思っています」と語っています。

’92年、宮崎監督は中日新聞のインタビューで《女房には申し訳なかったと、いまもそう思っています》と夫人への感謝と謝罪の念を吐露している。

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1609652/

宮崎駿さんは朱美さんに負い目があるようだと報じています。今後は2人で新作アニメを完成させる可能性もあるんじゃないかとのことです。

「宮崎さんは、奥さんに負い目があるんです。ですから、『今度は私にやらせてよ』ということになったら、宮崎さんが奥さんの出番を作ってあげるかもしれないですね。2人の絵は、どちらが描いたかわからないくらい似ているんです。奥さんが絵コンテを作って、宮崎さんが奥さんのサポートに回り、2人で新作アニメを完成させる可能性もあるんじゃないでしょうか」

https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1609652/

スポンサーリンク

育児絵日記

大田朱美さんは、次男が生まれた頃に主婦業に専念しましたが、それまで育児記録として書いていた日記を、子供の育児絵日記として、1987年に出版されています。

可愛らしいイラストですね!

現在の活動

2010年には、財団法人トトロのふるさと財団で非常勤の理事などを務めました。

2011年には公益財団法人トトロのふるさと基金となり、同公益財団法人の評議員となっているようです。

お読みいただきありがとうございました。

今後の益々のご活躍をお祈りいたします。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (3件)

コメントする

目次