小澤征爾の嫁はロシア系ハーフモデル!馴れ初めや元嫁も調査!

戦後日本のクラシック音楽界を牽引した、指揮者の小澤征爾さんが心不全で死去したことが報じられました。

今回は、小澤征爾さんの嫁や馴れ初めについて調査します!

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目次

小澤征爾wikiプロフィール

始めに、小澤征爾さんのwikiプロフィールをご紹介します。

https://www.news-postseven.com/archives/20220324_1738114.html/6
  • 名前:小澤征爾(おざわせいじ)
  • 生年月日:1935年9月1日
  • 年齢:享年88歳
  • 出身地:満洲国奉天市(現:中華人民共和国瀋陽市)
  • 学歴:桐朋学園短期大学

小澤征爾さんは、満洲国協和会創設者の一人で歯科医師の父親の三男として満州で生まれました。

征爾(せいじ)の名前の由来は、満洲事変の首謀者となった同士の板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰ったそうです。

歴史を感じるお話ですね。

1941年6歳の時に帰国し、のちに彫刻家となる長兄の小澤克己氏にピアノを習い始めます。

成城学園中学校に入学後はピアニストの豊増昇氏に師事。しかし、ラグビーの練習中に右手人差し指を骨折しピアノを断念。成城学園高校に進みました。

その後、音楽家齋藤秀雄氏の指揮教室に入門し指揮者の勉強を開始。

1952年に齋藤秀雄氏の肝煎りで設立された桐朋女子高校音楽科へ第1期生として入学。

桐朋学園短期大学へ進学しました。

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小澤征爾・経歴

大学卒業後は指揮者として活躍。

1959年に渡仏。第9回ブザンソン国際指揮者コンクールでは日本人初の優勝を果たし、ヨーロッパのオーケストラに多数客演。

カラヤン指揮者コンクール第1位を受賞後は、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。

指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。

1961年にはバーンスタインにも才能を認められ、ニューヨーク・フィルの副指揮者に。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルなど世界の名門楽団と共演を重ねました。

サンフランシスコ交響楽団、カナダのトロント交響楽団を経て1970年、米タングルウッド音楽祭の芸術監督に就任。

1973年から29年間は、ボストン交響楽団の音楽監督を務めました。

2002~2010年にはオペラの最高峰、ウィーン国立歌劇場の音楽監督を歴任。

2002年には、日本人指揮者で初めてウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートに登壇しています。

素晴らしい経歴ですね!

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小澤征爾の嫁はロシア系ハーフモデル!馴れ初めや元嫁も調査!

https://www.news-postseven.com/archives/20220324_1738114.html/6

小澤征爾さんの嫁についてですが、

入江美樹(いりえみき)さん。本名(ヴェラ・ヴィタリエヴナ・イリーナ)

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1968年にロシア人貴族の血を引くクオーターモデルで、結婚を機に引退しています。

1968年、白系ロシア人貴族の血を二分の一引くファッションモデル兼デザイナーで一時的に女優としても活動していた入江美樹(小澤・ベラ・イリーン)と再婚。美樹の母は料理研究家の入江麻木。

引用Wikipedia
画像引用:X

1965年〜1967年 ファッション・モデル 入江美樹さん 。ロシア貴族の末裔である父親と日本人の母親とのハーフ。1964年、ラスベガスで「国際ファッション・モデル第1位」を受賞した事も。 世界的に有名な指揮者、小沢征爾氏の奥様。

引用:X

子供は2人。1971年に征良(せいら)さんを出産。現在は52歳です(2024年2月現在)。

現在は、作家、エッセイストとして活躍されています。

第二子は、1974年に生まれた俳優の小澤征悦(おざわゆきよし)さんです。

https://www.news-postseven.com/archives/20220324_1738114.html/6

馴れ初め

お二人の馴れ初めについてですが、

著名人が集まるパーティー

奥様は、さぞかし目立っていたことでしょうね!

お二人は出会いから1年たたずに結婚されたようなので、出逢いは1967年頃と思われます。

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小澤征爾・元嫁も調査!

小澤征爾さんの元嫁についてですが、

三井不動産社長江戸英雄の娘でピアニストの江戸京子さん

1962年に結婚。桐朋女子高校の第一期生の同級生で、当時から小澤征爾さんは江戸家に入り浸りだったそうです。

やんごとなき一族ですね。

留学先のパリで再会し結婚しましたが、1966年に離婚されています。

離婚の原因は、夫が家では音は聞きたくないと言うため、京子さんがピアノを弾きたい時に弾けなかったからだそうです。

二人は1966年に離婚したが、その原因について江戸京子は「ピアニストとして練習するにしても、自分が弾きたい時に弾けませんしね。主人が練習に疲れて家に帰って来て、もう音は聞きたくないという。その気持もわかりますしね。それで議論になると、結局は”オレが稼いでいるんだから、オレの意見を尊重しろ”ということで押し切られてしまう。

引用:Wikipedia

音楽家同士は難しいようですね。

お読みいただきありがとうございました。

小澤征爾さんのご冥福をお祈りいたします。

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