デーブスペクターさんの嫁、京子スペクターさんを取り上げます。
京子スペクターさんは、おしどり夫婦として有名ですが、事務所社長という敏腕経営者でもあります。
今回は、京子スペクターさんの経歴について調査します!
京子スペクターwikiプロフィール
初めに、京子スペクターさんのwikiプロフィールをご紹介します。
「心が折れた」デーブが「アメリカに帰りたい」といった時期も…妻・京子スペクターが明かす会社設立当時の苦労と目標だった『徹子の部屋』出演 #SmartNews https://t.co/wOqoWpoUP3
— MN (@panderbird) April 20, 2024
- 名前:京子スペクター
- 生年月日:1952年1月2日
- 年齢:72歳(2024年4月現在)
- 出身地:千葉県千葉市
- 学歴:ブリガム・ヤング大学、レターデーセイントビジネスカレッジ
- 職業:株式会社スペクター・コミュニケーションズ代表
京子さんは、3人兄弟の一人娘として千葉県で誕生しました。
海外への憧れ
商社勤務の父親は中国や東南アジアへの出張が多く、英語を使って仕事をしている父親を見て、京子さんは海外への憧れを抱くようになりました。
将来の夢は、フライトアテンダントやホテルで働くことでした。
高校生の時には、キリスト教の宣教師が主宰する無料の英会話教室に通い、リアルな英語を学んだそうです。
子供ながらに、準備は着々と進めていたようですね。
留学
より学びを深めたいと留学を決意。ハワイのブリガム・ヤング大学に留学しました。
ですが、移住した人が多くネイティブな英語は学べないと悟り、アメリカユタ州のレターデーセイントビジネスカレッジに入学し、英語を学び直すことに。
次から次へとチャレンジする精神が、素晴らしいですね!
留学先では寮に入り友達もでき、日常会話は1年程でスムーズにできるようになりました。
英語の習得ができたことや、留学費用の心配、ホームシックもあり帰国を父親に相談したところ、卒業まで帰るなと厳しく言われたため、留学を続けることに。
見事大学を卒業し、学生同士の英会話ではなく、公の場で話せるネイティブな英語を身に着けることができたそうです。
現在では、大使館のパーティーなどに参加する機会も多いため、この時の学びが大変役に立っていると語っています。
さらには、週1回参加していたダンスパーティーの経験も、今に役立っているとのことです。
生きていく上で、どんな経験も無駄ではないことがわかりますね。
デーブスペクターの嫁・京子スペクターの経歴!社長でおもてなしの達人
「もし、明日死ぬとわかったら何をしたいだろう」と考えた時、「やっておけばよかった」と考えるのであれば、今すぐすべきだと思います。そのうえで、「人に優しく、嘘はつかず、親切にする」こと。
>京子スペクターさん。 https://t.co/XQXXGzYkoH— たまや しげる (@vermoutheaster) April 21, 2024
京子スペクターさんの経歴をご紹介します。
- ロサンゼルス・ホテルニューオータニコンシェルジュ
- デーブスペクターのサポート
- スペクター・コミュニケーションズ代表
- 在日大使との交流
- ライフスタイルコーディネーター
一つずつ見ていきましょう!
コンシェルジュ
アメリカの大学を卒業後帰国しましたが、日本文化に馴染めず再度渡米。
友人の勤務する職場を紹介され、ロサンゼルスの「ホテルニューオータニ」で勤務することになりました。
コンシェルジュとして4年間勤務し、子供のころからの夢が叶い充実した日々を過ごしたようです。
ここでの経験を通して、お客様に満足してもらえる喜び、マナー、接客スキルなど、より洗練された英会話能力が磨かれたようです。
デーブスペクターとの出逢い
なんと大昔「鳥人間コンテスト」をアメリカのテレビ番組のため取材ロケしました。当時の司会者は桂三枝さんでした。浮輪のせいでいつもより浮いてた。 pic.twitter.com/pliIiG3UdJ
— デーブ・スペクター (@dave_spector) September 3, 2023
デーブスペクターさんとの出会いは、このホテル勤務時代2年目の頃でした。
ホテルのお客様として出逢いましたが、当時からデーブさんはとても流ちょうな日本語を話していたそうです。
しかも名前は「ユウゾウ」と名乗り、かなり「怪しい人」だったとのこと。
それなのに何度もデートに誘われて、その都度お断り続けていたそうですが、さすがに10回も過ぎると言い訳ネタがなくなり、京子さんの一時帰国の前に1回だけデートをしたそうです。豪華な車に美味しいディナーなど、素敵なデートだったようです。
一時帰国からアメリカに戻りましたが、その時期がアメリカの感謝祭でした。感謝祭は家族が集まるお祭りでしたが、京子さんは現地で一人だったため、デーブさんに連絡をとり、そこからお付き合いが始まりました。
デーブさんに惹かれたのは、「誠実なところ」。デーブさんは、デートの食事では京子さんにはいいものを注文し、自分は安いメニューをオーダーする。自分への買い物はしないのに京子さんへのプレゼントはしょっちゅうするなど、献身的な姿にも惹かれたようです。
この姿は、結婚して40年以上経った今でも変わらないと語っています。
素敵ですね♡
デーブスペクターのサポート
1981年にお二人は結婚しました。
当時デーブさんは「ABCテレビ」のエグゼクティブプロデューサーで、テレビ制作をしていました。京子さんは、テレビで使用する素材の情報収集など、リサーチを手伝うようになりデーブさんのサポートに尽力していきました。
そんな中、ABCテレビの日本ロケがきっかけで、流ちょうな日本語を話すデーブさんに「アメリカの番組で使えそうな映像を買い付ける」という仕事のオファーがきます。これを受け、二人は日本で生活することになりました。
会社設立:スペクター・コミュニケーションズ代表
その後、デーブさんは日本のテレビでコメンテーターとしての仕事が急増、芸能事務所に所属しメディア露出が増えました。
ABCテレビの仕事も同時にしていたので、京子さんはサポート役で手伝いました。
ですが、自分たちでマネジメントした方が仕事がしやすいと考え、1988年に「スペクター・コミュニケーションズ」を設立。マネージメント、国内・国外番組企画制作、コーティネート、海外映像・写真の販売などを行っています。
ご夫婦で共同代表のようですね。
会社名 株式会社スペクター・コミュニケーションズ
https://www.spector.co.jp/company.html
東京オフィス 〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町3-12 紀尾井町ビル2F
U.S.A.オフィス 2121 Avenue of the Stars, Suite 800
Los Angeles, CA, 90067
事業内容 マネージメント、海外映像・写真の販売、イベント企画制作、国内・国外番組企画制作、コーティネート、番組販売、映像販売、海外メディアアドバイス、マスコミ・メディア対策及び管理
役員構成 代表取締役 デーブ・スペクター
代表取締役 青木京子
デーブさんは自身がテレビ出演をする際は、出演者の生い立ちまでもリサーチして収録に臨むほど勉強熱心な方だそうです。
「たとえその現場で陽の目を浴びなくても、いつかどこかで使える知識となるはずだから」という理由で、今でも勉強熱心なんだとか。
寝る時間を削ってでも頑張るデーブさんを支えたい一心で、京子さんはサポートに徹しているようです。
そんな夫婦の努力が、40年経った今でもデーブさんがテレビ業界で生き残れている証なのかもしれませんね。
まさにおしどり夫婦ですよね♪
ヒルトンホテルからタワマン生活へ
帰国後のお二人は、「ヒルトンホテル」で数十年もホテル暮らしをしていました。
当時は日本とアメリカの行き来をしていたので、ホテル暮らしの方が身軽だったからのようです。
ですが、ホテルでの暮らしはやはりお金がかかります。ホテルのクリーニングは靴下1足が1,000円で、お店で3足1,000円で売られているのを知り、買った方が安いのではと。。。
たしかにそれは、なやみますよね~♪
そして、デーブさんの仕事の資料が増えて手狭になっていったころに、転機が。
高層マンションに住む友人の家で、花火大会を見るホームパーティーに呼ばれました。そこでの景観に感動し、「ここで暮らしたい!」と引っ越しを決意したそうです。
もともと知人がこのマンションの違う階に住んでいて、花火大会が見えるからとお招きしてくれたんです。それで、すばらしい眺めが気に入って決めました。それまでの十数年はヒルトンでホテル暮らしをしていたのですが、ものが増えてきて、やはり合理的ではないなと思っていたところだったんです。
https://www.livable.co.jp/l-note/interview/i12513/
千代田区のタワマンで、明治神宮野球場の試合が見れてしまう場所にあるそうです。仕事用と、プライベートの2フロアを借りているとのこと。
明治神宮野球場の試合が見えるから、かならずヤクルトスワローズを応援しなきゃならないのが難点ですが(笑)。デーブ:国立競技場も近いから、オリンピックのときにはアメリカのテレビクルーがカメラポジションを借りたいと交渉してきました。
https://www.livable.co.jp/l-note/interview/i12513/
当然億ションですので、賃貸料が怖すぎる。。。
在日大使との交流
新居ではホームパーティーを多く開催し、たくさんの方が訪れているようです。
京子さんが、在日大使との交流を活発にされているのは、デーブさんが連載した記事を見たクウェート大使からお会いしたいと招待されたことがきっかけでした。
代理で京子さんが出席したことがきっかけで、他の大使からもお声がかかるようになり、人脈が広がっていったそうです。
また、古流いけばな松藤会師範の資格取得など、日本文化でおもてなしをする心配りなどが喜ばれ、在日大使との交流に繋がっているようです。
素晴らしいです♪おもてなしの達人ですね!
資格・免許
https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%AC%E5%AD%90%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC民間外交推進協会女性会員(LFEC)/国連大学婦人協会会員(UNUWA)/アジア婦人友好協会会員(ALFS)/東京 日本・トルコ婦人クラブ会員東京アメリカンクラブ婦人会会員(TAC Women's Group)/文化服装学院教師/古流いけばな松藤会師範/英語教師/ツアーディレクター/ツアーコーディネーター/ツアーマネージャー
ライフスタイルコーディネーター
また、テレビの企画やプロデュースを手掛けるほかに、アメリカでの生活経験を活かしてライフスタイルコーディネーターとしても活躍しています。
京子さんのライフワークとなっている「RIJ国際難民支援会 食卓の芸術・チャリティー展示会」は、RIJ(国際難民支援会)が主催する難民支援のボランティア活動で、毎年ホテルなどで行われます。
各界のおもてなし上手な方々や、各国の大使夫人などが素敵なテーブルコーディネートを出典するチャリティー展で、素敵なテーブルコーディネートが見られると同時に、入場料がそのまま難民支援の寄付になるそうです。
2002年、2010年と「RIJ国際難民支援会 食卓の芸術・チャリティー展示会」 に作品出展。その後も数多くのテーブルセッティングを手がけ、ライフワークの1つにもなっている
https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%AC%E5%AD%90%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
ライフスタイルコーディネーターとして意識していることは、「手間を省くこと」だそうです。
アメリカは多様性の文化なので、「誰でも簡単にできることが基本」で「難しいことを簡単にすることが基本」とのこと。合理性を大切にしている文化ですね。
京子さんは、手間を省くことで生まれる時間を自由に使ってほしいと語っています。
手間ひまをかけて愛情を込めることが美学とされている日本とは、真逆な考え方かもしれませんね。
ですが、時間を生み出すことでまた別のことが出来ると考えると、新しい一歩が踏み出せるような気がします。
その他
その他にも、様々な肩書をもちマルチな才能で活躍されています。
- ワールドダンスコングレス2014 広報親善大使
- OSF サンフォルナートアカデミー理事長
- 各国大使館員日本語スピーチコンテスト理事及び審査員
- アカデミア・イタリアーナ・デッラ・クッチーナ イタリア政府公認審査員
- 民間外交推進協会女性会員(LFEC)
https://www.weblio.jp/content/%E4%BA%AC%E5%AD%90%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BCCID-UNESCO ワールドダンスコングレス2014 広報親善大使/OSF サンフォルナートアカデミー理事長/各国大使館員日本語スピーチコンテスト理事及び審査員/アカデミア・イタリアーナ・デッラ・クッチーナ イタリア政府公認審査員
お読みいただきありがとうございました。
素晴らしい経歴でしたね!
今後の益々のご活躍をお祈りいたします。
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