島津忠由さんを取り上げます。
島津忠由さんは、旧薩摩藩主・島津家の分家である玉里島津家出身の方です。
都内には島津家の御屋敷跡と言われる場所が、多数あるようです。
今回は、島津忠由さんの自宅や、御屋敷跡を調査します!
島津忠由の自宅はどこ?都内高級住宅街の邸宅
自宅の場所
島津忠由さんの自宅についてですが、
詳しい詳細は公表されていませんが、都内の高級住宅街にあります
邸宅という表現からも大変立派な家であることが伺えます。
晴天に恵まれた5月中旬の7時頃、都内の高級住宅街に建つ邸宅から、ひとりの青年が姿を見せた。色白で端正な顔立ちに横分けにした髪型が似合うこの人物は、佳子様(29歳)のお相手候補として取り沙汰されている島津家の御曹司・Aさんその人だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/79812d736fae1ceaf03ee58c4d60f37fa380690c
都内の高級住宅地といえば、下記のようなエリアが浮かびます。
- 港区南麻布周辺:高台に位置し邸宅が立ち並び大使館も多い場所です
- 渋谷区松濤:江戸時代には紀伊徳川家の下屋敷があった、由緒あるエリア。豪邸は塀が高くプライバシーが守られています
- 渋谷区広尾:高台に位置し、周辺には名門校も多く子育てや買い物にも便利
- 目黒区青葉台:西側傾斜の日当たり眺めのよい土地で、大豪邸や低層ビンテージマンションなどの住宅街
- 世田谷区成城:成城エリアは緑が多く、植栽や高さ制限、土地面積250平米以上などのルールがあります
- 大田区田園調布:渋沢栄一がパリのエトワール凱旋門をイメージして計画したのが田園調布。松濤のような塀に囲まれたプライバシー重視の住宅ではなく、緑が多いオープンな邸宅がある街並み
この中のいずれかの場所に自宅があると思われます。
新しい情報が入り次第追記します!
内装・間取り
都内の高級住宅街にある、邸宅の内装が気になります。
きっと、めまいがするほど豪華で、玄関は住めるほどの広さなのかもしれません。
リビングは天井が高く、暖炉があるイメージでしょうか。
パーティールームは必須でしょうね。
ワインセラーもありそうです。
プライバシーを顧慮した中庭もありそうです。
やんごとなき家柄の邸宅が立ち並ぶ高級住宅街は、高台に位置する場所も多く、江戸時代の御屋敷跡があった場所も少なくないようです。
島津忠由・島津藩屋敷跡を調査!
江戸には、江戸藩邸と言われる江戸時代に置かれた藩の屋敷がありました。
島津忠由さんの出身である島津家も、島津藩屋敷を多数所有していたようです。現在でもその跡地を確認できます。
薩摩島津家の江戸屋敷ですが、調べてみると上屋敷や中屋敷だけでなく他の屋敷も複雑で、画像の青線(中屋敷)や薄緑線(下屋敷)で囲った屋敷、これら全て薩摩藩関係の屋敷なのですが、史料や絵図等の扱いをみるに、どうも屋敷の持ち主が島津家の当主とは限らないようです。 pic.twitter.com/85HPaOe3rX
— 零れ落ちた砂粒⌛ (@sandglass2rosa) April 10, 2021
江戸藩邸について見ていきましょう。
江戸藩邸
江戸時代に江戸に置かれた藩の屋敷を江戸藩邸と言い、江戸城からの距離により、上屋敷(かみやしき)、中屋敷(なかやしき)、下屋敷(しもやしき)、蔵屋敷(くらやしき)などと呼ばていました。
大名には、江戸城周辺に幕府から与えられた用地に建てられた屋敷(拝領屋敷)のほか、江戸郊外にかけて、複数の屋敷を持っていた。これらの屋敷は当該屋敷の用途と江戸城からの距離により、上屋敷(かみやしき)、中屋敷(なかやしき)、下屋敷(しもやしき)、蔵屋敷(くらやしき)などと呼ばれ、これらを総称して江戸藩邸と呼ぶ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%97%A9%E9%82%B8
上屋敷は大名とその家族が居住し、中屋敷は上屋敷の控えとして隠居した主や成人した後継ぎの屋敷、下屋敷は主に庭園などの別邸として、蔵屋敷は年貢米や領内の特産物を収蔵した蔵を有する屋敷などの役割がありました。
代表的な島津家江戸藩邸についてですが、以下の6つがあります。
- 薩摩藩島津家上屋敷(千代田区内幸町):みずほ銀行内幸町本部ビル、NTT日比谷ビル、日比谷U-1ビル
- 薩摩藩島津家上屋敷(港区芝):日本電気(NEC)本社
- 佐土原藩島津家上屋敷(港区三田):綱町倶楽部
- 薩摩藩島津家中屋敷(港区芝):屋敷の中心部はセレスティンホテルや中央三井信託銀行芝ビル、戸板女子短期大学など、西側は桜田通りに面し、南端はNEC本社ビルや東京女子学園、総面積は2万1785坪余
- 薩摩藩島津家下屋敷(渋谷区東 旧:常磐松町):常陸宮邸(常盤松御用邸)
- 薩摩藩島津家下屋敷(港区白金台):八芳園
一つずつ見ていきましょう!
①薩摩藩島津家上屋敷(千代田区内幸町)
薩摩藩島津家上屋敷は、千代田区内幸町にありました。現在はみずほ銀行内幸町本部ビル、NTT日比谷ビル、日比谷U-1ビルになっています。
薩摩藩島津家上屋敷(千代田区内幸町:初期 後に港区芝に移転し中屋敷扱いの装束屋敷として利用):みずほ銀行内幸町本部ビル(旧:第一勧業銀行本店→みずほ銀行旧本店)、NTT日比谷ビル、日比谷U-1ビル(←日本徴兵保険←華族会館←鹿鳴館)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%97%A9%E9%82%B8
日比谷U-1ビルになる前は、鹿鳴館として明治時代に国賓や外国の外交官を接待する、外国との社交場として使用されたことで有名です。
1883年11月28日
鹿鳴館の開館明治時代、日本は幕末に結ばれた不平等条約の改正に取り組んだ。1879年に外務卿に就任した井上馨は、改正交渉促進のため欧米文化の直輸入政策(欧化政策)を推進した。この日、東京の旧薩摩藩上屋敷跡に鹿鳴館が開館。外国人が招待され、華麗な舞踏会や夜会が開かれた。 pic.twitter.com/sHiwWo83rD
— 今日は何の日 (@kyouhanannda) November 27, 2021
②薩摩藩島津家上屋敷(港区芝)
薩摩藩島津家上屋敷は、港区芝。現在は、日本電気(NEC)本社になっています。
薩摩藩島津家上屋敷(港区芝、千代田区内幸町より移転):日本電気(NEC)本社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%97%A9%E9%82%B8
NEC本社の一角に、薩摩屋敷跡の石碑があります。
都営地下鉄三田駅下車。A10出口から外へ出るとNECさんの本社があり、その一画に佇む薩摩屋敷跡の石碑。ここは庄内藩のターニングポイント・薩摩藩邸焼き討ち事件があった場所です。#ヒストリアキュレーター #新徴組 #庄内藩 #江戸のお巡りさん #東京都 #港区 #歴史散歩 #松山藩 #上山藩 pic.twitter.com/r40QdmFCp6
— 玉越 宏@庄内町地域おこし協力隊・ヒストリアキュレーター (@2wNGEy3xKiqAg83) January 22, 2024
薩摩藩邸焼き討ち事件があった場所で、明治元年に起きた幕府軍と新政府軍との内戦・戊辰戦争のきっかけになったと言われています。
江戸薩摩藩邸の焼討事件(えどさつまはんていのやきうちじけん)は、薩摩藩が江戸市中取締の庄内藩屯所を襲撃した為、幕末の慶応3年12月25日(1868年1月19日)に江戸の三田にある薩摩藩の江戸藩邸[注釈 1]が江戸市中取締の庄内藩新徴組らによって襲撃され、放火により焼失した事件のことである。この事件からの一連の流れが戊辰戦争のきっかけになった[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%96%A9%E6%91%A9%E8%97%A9%E9%82%B8%E3%81%AE%E7%84%BC%E8%A8%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
③佐土原藩島津家上屋敷(港区三田)
佐土原藩島津家上屋敷は、港区三田にありました。現在は、綱町三井倶楽部になっています。
佐土原藩島津家上屋敷(港区三田(旧:芝三田綱町)):綱町三井倶楽部
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%97%A9%E9%82%B8
綱町三井倶楽部は、ルネサンス様式を基調とした歴史のある建物で、正統派フランス料理と豊富なワインを堪能できるレストラン。会員制倶楽部の敷地内にあります。
大正2年竣工
設計:ジョサイア・コンドル
綱町三井倶楽部 pic.twitter.com/uzFKq6Xpxk— ピスタチオ (@pistachio1103) December 24, 2023
◆綱町三井倶楽部◆
現在の建物敷地部分は島津忠持屋敷跡であった。1910年(明治43年)、三井総領家第10代当主・三井八郎右衞門高棟が、ジョサイア・コンドルに設計を依頼し、日向・佐土原藩の江戸藩邸跡に計画した賓客接待所で、当初は「綱町三井別邸」と称し、1913年(大正2年)12月に竣工した。 pic.twitter.com/YBhOwzl6Ar— kazu (@kazu409366471) October 15, 2023
④薩摩藩島津家中屋敷(港区芝)
薩摩藩島津家中屋敷は、港区芝にありました。屋敷の中心部だった場所の現在は、セレスティンホテルや中央三井信託銀行芝ビル、戸板女子短期大学などになっています。
薩摩藩島津家中屋敷(港区芝):戊辰戦争の発端となる焼討事件で焼失(薩摩原)、屋敷の中心部はセレスティンホテルや中央三井信託銀行芝ビル、戸板女子短期大学など、西側は桜田通りに面し、南端はNEC本社ビルや東京女子学園、総面積は2万1785坪余
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%97%A9%E9%82%B8
セレスティンホテルのロビーには、島津藩の家紋をイメージした、丸に十時模様の仕切りが優雅に出迎えてくれます。
重厚感があり、素敵ですね。
⑤薩摩藩島津家下屋敷(渋谷区東)
薩摩藩島津家下屋敷は、渋谷区東にありました。現在は、常盤松御用邸となっています。
薩摩藩島津家下屋敷(渋谷区東 旧:常磐松町):常陸宮邸(常盤松御用邸)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%97%A9%E9%82%B8
常盤松御用邸とは、東京都渋谷区東に所在する皇室財産。
常盤松御用邸(渋谷区東4丁目) pic.twitter.com/G2JnJUGKGt
— KNM (@KNM2002) February 4, 2023
1964年9月からは常陸宮家が邸宅として使用しています。
⑥薩摩藩島津家下屋敷(港区白金台)
薩摩藩島津家下屋敷は、港区白金台にあります。現在は八芳園として有名です。
薩摩藩島津家下屋敷(港区白金台):八芳園
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E8%97%A9%E9%82%B8
八芳園。 pic.twitter.com/SduV6UjVvB
— 山宮健太朗 | 経営者の右腕 (@Kentaro_GB) May 24, 2024
その他:旧島津家本邸本館(品川区東五反田)
また、大正時代に島津忠重公爵の邸宅として建てられた旧島津家本邸本館は、品川区東五反田の高台に建つ煉瓦造の白タイル張りの洋館です。現在は、清泉女子大学になっています。重要文化財に指定されています。
旧島津家本邸
ステンドグラスの上部に
「丸に十の字」が📄清泉女子大学HPより
大正時代に島津忠重公爵の邸宅として
イギリス人建築家ジョサイア・コンドルにより
設計されたイタリア・ルネサンス様式の洋館 pic.twitter.com/4pmLZ1YqDD— 花人 (@ginniro_no_hana) May 19, 2024
周囲は島津山と呼ばれ、江戸時代から由緒ある大名屋敷や大名出身の邸宅があり、現在も高級住宅地として知られています。
城南五山(じょうなんござん)は、東京の城南地区にある高台5ヶ所の総称で、目黒駅から品川駅にかけての地域です。 池田山、御殿山、島津山、花房山、八つ山 の総称で、江戸時代からそれぞれ由緒ある大名屋敷や大名出身の邸宅があったことが命名の由来です。古くから高級住宅街として知られ、城南五山はブランドエリアとなっております。
https://www.plazahomes.co.jp/news/jonan-gozan/
お読みいただきありがとうございました。
薩摩藩島津家が江戸にたくさんの屋敷を持つ、権力のある名家ということがわかりました。
今後の益々のご活躍をお祈りいたします。
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